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このブログは生長の家の真理普及のために運営していますが、内容や発言はすべて私個人に責任があります。宗教法人「生長の家」の公式見解ではありませんので、予めご了承ください。 ご不明な点は、shingonsni@gmail.com までお問い合わせください。   (ブログ開設日:平成21年9月15日)
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昨年9月に、私は北海道旭川市に出張で行きました。

旭川空港に到着してまず驚いたことは、主に団体のツアーで日本に来ている、中国人観光客(と思われる人々)の多さでした。

空港内では、日本語を話す人を見つける方が難しいのではないかと感じたほどでした。

以前から、日本の主要な観光地やショッピング街等で、中国人や台湾人、韓国人等の東アジア系の観光客や買い物客(出身者)をしばしば見かけますが、最近、いっそう増えてきているように感じました。

こうして“現場”に行ってみると、改めて現在の“社会風潮”といったものを直に体験することができます。


もう一つ、旭川に行って驚いた“社会風潮”がありました。

それは、電気自動車が思った以上に普及しつつあるということです。

たしかに私も、テレビやインターネット、新聞の報道、書籍などを通して、電気自動車の普及の動きがあることは知っていましたが、「本当の普及はもうしばらく先だろう・・・」ぐらいに思っていました。

しかし、下記のように、電気自動車が、北海道富良野市の「風のガーデン ふらの」(2008年放送の「風のガーデン」というドラマのロケ地)というホテルの敷地内で活躍している姿を直に見て、「電気自動車の普及は意外と進んでいるのではないか?」と感じました。

実は、私はこの時、初めて電気自動車を“触れられる距離で”見たのでした。

230111-e-car.jpg







私がホテルの従業員に、「電気自動車の充電はどこでしているのですか?」と尋ねてみたところ、「ここで充電しているんですよ!」と、電気自動車のすぐ裏手にある“小さなボックス”を示されました。


(次号へ続く)

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昨年夏、私が北海道旭川市に出張したときに、地元の方が「中原悌二郎記念 旭川市彫刻美術館」に連れて行ってくださいました。

この彫刻美術館は、「日本の近代彫刻史に偉大な足跡を残した旭川ゆかりの彫刻家 中原悌二郎(1888~1921)を記念した彫刻専門の美術館として1994年(平6)に開設」(旭川市彫刻美術館HPよりされたものです。

※中原悌二郎氏の作品は、上記HPに紹介されています。

おそらく、彫刻家の中原悌二郎氏についてはご存じない方がいらっしゃると思いますので、次に紹介します。

旭川市は「彫刻のまち」と呼ばれており、現在、市内の公園や橋などには彫刻作品が数点、“野外彫刻”として展示されていますが、その出発点となったのが、中原悌二郎氏です。

中原悌二郎氏は、北海道釧路村の生まれで、子ども時代に5年ほど、旭川市で生活しました。

1,905年、中原氏が17歳の時に、学業半ばで画家になることを目指し、上京しました。

中原悌二郎氏は、生涯に残した彫刻作品はわずか12点と少ないにも関わらず、日本の近代彫刻史に欠くことのできない彫刻家として、現在でもその業績が高く評価されています。

 (参考:旭川市彫刻美術館のHP


私は、たまに絵画などの“二次元”の芸術作品を観ることはありますが、恥ずかしながら、普段「彫刻美術」のような“三次元”の芸術作品とは、あまり縁がありません。

「彫刻美術のような“三次元”の作品とは、いったいどのようなものなのだろうか?」 「どういった点に着目して観賞すればいいのだろうか?」 「果たして私に“理解”できるだろうか?」などと、若干の不安な気持ちを抱きながら、館内を見て回りました。

しかし、不思議なもので、館内を順に巡っているうちに、いつの間にか、虚心坦懐に彫刻美術と“対面”している自分がいたのです。

彫刻美術館には、中原悌二郎氏の作品以外にも、オーギュスト・ロダン氏や荻原守衛氏をはじめ、さまざまな彫刻家やモダンアート家(?)の作品、わが国の彫刻界の発展に寄与する目的で創設された「中原悌二郎賞」の受賞作品等が展示されていました。

展示作品の中には、モダンアート的な作品も数多くあり、確かにいまいち“よくつかめない”ものも何点かありましたが、自分の中の“眠っていた面”が新たに発掘されたように感じました。

芸術作品鑑賞の“楽しさ”を体験した時間でした。

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先日、私が夕食をとるために、行きつけの定食屋に行ったときのことです。

店に入ると、初めて見かける店員さんが一人いました。

「新人さんが入ったんだな」と思いながら、案内された席に着きました。

私は注文をし、食事が出て来るのを待っていました。

私の背後から、以前から働いている店員さんが、新人の店員さんに、注文の聞き方や食事の運び方などを教えている声が聞こえてきました。

「注文を聞くときには、こう聞いて!」

「これをお客さんのところに持って行って、こう言って!」等々。

先輩の店員さんは、きっと自分が新人の時に先輩から教えられた通りにアドバイスしていたのだと思います。

私は、先輩店員と新人店員とのやり取りを、新鮮な気持ちで聞いていました。

しばらくすると、次のような台詞が聞こえてきました。

「お客さんは“みんな優しい人ばかり”だから、大丈夫だからね!」と。

おそらく、新人の店員さんは、つい先ほどから、現場の配置に付き始めたのでしょう。

先輩店員さんは、新人店員さんが不安そうにしていたのを気にして、このように言ったのかもしれません。

私は、先輩店員が発した“気の利いた台詞”を聞いて、「こういう言い方ってあるんだな!」と感心しました。

私は“みんな優しい人ばかり”という言葉に、「たしかに本来“みんな優しい人ばかり”だよな! 生長の家で言えば、ある意味、相手の実相(本当の姿)を観ている台詞と言えるよな!」と思いました。


私が食事を終わって、レジに行くと、新人の店員さんが引き続き応対してくれました。

私がレジの新人店員さんの胸元にふと目をやると、中国名(と思われる)の名札が付いていました。

新人の店員さんは、先輩店員さんから「レジではこうするの!」とか「この時にこう言うの!」等々、会計時のアドバイスをいろいろと受けながら、(覚束なくは見えましたが)レジを打っていました。


最近は日本でも、コンビニや外食産業等のさまざまな場所で働いている、アジア系の外国人(あるいは外国出身の方)の姿を数多く見かけます。

私がこういった外国(出身)の方々と接する際にいつも感じることは、「異国の地・日本に来て、おそらく大変なことや不安なこと等がいろいろとある中で、一所懸命に働いていて素晴らしいよな!」ということです。

人種や民族、国籍、宗教、出身地、言語等の違いを超えて、さまざまな人間同士が行き交い、触れ合う現代社会。

もしかすると、この先輩店員さんは人生で初めて、外国人(外国出身者)にいろいろと教えるという体験をしていたのかも知れません。

今回、先輩店員の“気の利いた台詞”に、国籍や出身地、宗教、使用言語等が違っても、人間として、相手を思いやる気持ちは共通なんだと、改めて感じた“一コマ”でした。

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前回「神の「真・善・美」を学ぶ(北海道編) (1)」の続きです。


実は同じ写真でも、パソコンの画面等で“個人的に”見ているときには、「さらっと」「何となく」しか見ていないことが多いように感じます。

しかし、ポスティングジョイ(生長の家が運営するよろこび投稿サイト)に投稿する場合は、同じ写真でもじっくりと眺めてから投稿するので、実はいろいろな“発見”があるのです。

221130-kowahara02.jpg







さらに、ポスティングジョイにジョイを投稿し、コメントをいただくと、コメントを読むまでは自分では気づかなかった着眼点等に気づくことができます。

このように、各人の感動を、写真等の“作品”に表現したものを、気軽に紹介できるポスティングジョイの“表現空間”としての有り難さを、改めて感じます。




Kさんの写真を眺めていると、改めて、写真には、撮影者の心が現れるんだと感じます。

写真からは、Kさんの自然や植物、動物等に対する“深い愛”を感じます。

皆さんも、写真をご覧になった時に、同じようにお感じになったのではないでしょうか?


Kさんの写真を見ていると、動物の生態等の“自然物”って、本当に見ていて飽きがこないなと感じました。

Kさんは、大自然のなかで、春の日差しのもと、キタキツネやリス、小鳥たちの写真を撮影されながら、“彼ら”との一体感を感じ、幸せな時間を過ごされたことだと思います。


今回の新しいタイプの誌友会は、秩父別相愛会で初めての取り組みでしたので、実際に参加者が写真を撮影する時間はありませんでした。

しかし、写真の専門家、Kさんが撮影された素晴らしい写真を鑑賞しながら、参加者はきっと深い感動を覚えられたことだと思います。

参加者は、素晴らしい写真を見ながら、感動の喜びを表現し合い、楽しい時間を過ごすことができたのではないかと思います。

また、参加者はKさんから様々な説明を受けながら、自分が実際に撮影するときの“コツ”のようなものを、何となくつかまれたのではないかと思います。

Kさんが、先の感想文のなかで「写真を通して、見ていただく方に自然の美しさや大切さを知っていただ」きたいとおっしゃっているように、吾々現代人が自然との触れ合いの機会を、日常的にもっと持つようにすれば、この美しく、多様性溢れる大自然を、吾々人類が大切にし、後世にしっかりと伝えていくことができるのではないかと強く感じました。

 

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平成22年10月6日(水)に、生長の家空知教区の秩父別相愛会(北海道深川市)で、写真をテーマにした“技能や芸術的感覚を生かした誌友会”(新しいタイプの誌友会、Bタイプの誌友会)が開催され、8名の参加者が集まりました。

※誌友会とは、生長の家の真理を学ぶ“つどい”のことです。
  興味のある方や参加をご希望の方は、お住まい地域のこちらまで電話等でお問い合わせください。


誌友会では、相愛会員(生長の家の中高年男性のつどいの会員)のKさん(70歳)が撮影された写真集2冊をもとに、Kさんご本人から撮影時の苦労話などを伺いながら、参加者は写真を鑑賞しました。

Kさんは、北海道深川市在住で、日本写真協会のコンクールで入選経験のあるような方です。

普段から自宅の近くにある野や山などの“季節の写真”を撮っていらっしゃるそうです。

今回の誌友会では、写真の初心者向きに、写真を撮るときの心構えや、対象物のアングルの取り方、その時の天候に合わせてカメラ調整をする方法など、写真を撮影する際の基本的テクニック等について、Kさんから教えていただきました。

写真を撮る際に、自然の草花等を踏み付けたり、動物を驚かせないなど、写真撮影時の心遣い等を教えてもらいました。

次に、Kさんの感想文を紹介します。

Kさんが“どのような思い”で、写真撮影をされているのか、ご理解いただけるのではないでしょうか?

<< 私が仕事を辞め、「何か趣味を始めたい」と考えていた時に、友達に誘われて、自宅の近くに生息しているキタキツネの写真を撮り始めました。

221130-kowahara01.jpg







動物の子どもは本当にかわいいものですね。

子ギツネ同士がじゃれ合いながら、“自立”するために訓練している姿。

何とも言えない、愛おしさを感じます。

この写真は、キタキツネの子どもが、クマバチが桜の花に留まったのを観察している姿です。

221130-kowahara04.jpg










子ギツネは、好奇心が非常に旺盛です。

子ギツネの、何とも言えない、可愛らしい仕草がたまりません。


動物の活動は夜明けと同時に始まります。

この時間にカメラを構え、シャッターチャンスを待つわけですが、動物が現れなかったり、思うようなアングルで撮れなかったりで、なかなか思うようにいかないことが多いです。

しかし、私は通い続けることが、絶好のシャッターチャンスにめぐり会うことにつながるのだと思います。


私は現在、日本写真協会を通して、滝川市内の病院などに、撮影した写真を年間展示させていただいております。

私は、写真を通して、見ていただく方に自然の美しさや大切さを知っていただくとともに、少しでも楽しんでもらえるような作品を撮っていきたいと思っています。 >>


<以下、次号に続く>

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日本でも以前に比べると、駅や空港などの公共施設、観光地等のさまざまな場所で、日本語以外の言語で書かれた案内表記が増えてきているように感じます。

英語によるものはもちろんのこと、最近では中国や韓国、台湾などから来日する観光客や買い物客等が増えていることもあって、中国語や韓国語による案内表記もしばしば見かけます。

しかし一方で、日本語の表記しかない場合も、まだまだかなり多いように感じます。

吾々は普段、日本に住んでいると、周囲が“日本語という言語空間”であるため、吾々の周囲を取り巻いている言葉(口にするもの、聞こえてくるもの、読むものなど)の意味が分かることは、当たり前だと思ってしまいます。

このように、普段、日本に住んでいると、「言葉の意味が理解できない」という状況や言語環境の不便さには、なかなか気づかないことが多いと言えるのではないでしょうか。


私が大学生(カトリック系の大学でした)の夏に、大学主催の研修のために、2ヶ月ほど、ヨーロッパに行ったときのことです。

ヨーロッパでは、イギリスやドイツを中心に、ベルギー、フランス、ルクセンブルグ、スイス、イタリア、バチカン市国、ギリシャ、トルコなどに滞在したり、観光したりしました。

ヨーロッパでは、英語を母国語としない国々でも、ドイツ語やフランス語、イタリア語、ギリシャ語など、それぞれの国の言語に併記して、英語による案内表記が、多くの場所で行われていました。

このため、大学の授業で履修した第二外国語を除けば、当時、英語以外の言語を学んだことがない私でも、ほとんどの国や場所で、特に問題なく過ごせました。

しかし、英語による併記があまりなされていないことがありました。

例えば、レストラン等の「メニュー表」です。

私が入ったレストラン等の「メニュー表」には、その国の母国語以外に英語の表記がされていることは、(日本の場合でもそうですが)多いとは言えなかったように思います。

現地の言葉が、英語の綴りや発音と似ている場合は、ある程度の“類推”ができましたが、まったく異なる場合や、そもそも日本人が英語を学ぶときに、ほとんどなじみのない単語の場合には、「メニュー表」に何が書かれているのか、私には理解できず、「・・・」と感じたことが何度かありました。

「これはいったい、どんなメニューなんだろうか?」と、正直、困ったことを覚えています。

私の母校から引率者として一緒に行かれていた、ドイツ人の大学教授(神父でもあります)に、何度か尋ねたことがありました。

あるいは、何が出て来るか分からなくても、値段等に問題がなければ、思い切って注文してみたこともありました。(もちろん注文してみたら、“想定外のもの”が出てきたこともありましたが)

また、鉄道などの交通機関に乗ったときも、ほとんどの場合、初めに現地の言語でアナウンスが流れますので、この段階では何を言っているかほとんど分からず、正直なところ、非常に“不安に”感じたことがありました。

この時、言葉の意味が分からないということは、不便なのはもちろんですが、それ以上に「何て“不安な気持ち”になってしまうんだろうか」と思ったものです。

もしかすると、書かれている内容が分からなかったり、流れているアナウンス等が理解できなくて、重要な情報を見落としたり、聞き逃してしまったことがあったのかも知れません。
(もちろんこういった場合に、私自身は「見落としたり」「聞き逃してしまった」ことに、多くの場合は気がつかないと思いますが)

このことは、吾々日本人が日本という“日本語の言語空間”にいると、なかなか味わえない体験だったと思います。


一方、私が大学生の時に味わったようなことを、日本語を十分に理解し得ない外国人の場合は、日本にいるときに、日々“体験”していることに、最近、生長の家総裁・谷口雅宣先生がブログ「小閑雑感」にお書きになられた「大成功の島根教区講習会」というご文章を拝読したときに、気づかせていただきました。

このように、吾々は普段の生活の中で、いつの間にか“自分だけの視点”で周りの状況や他人のことを見たり、考えたりしまっていることが多いように感じます。今回、大いに反省しました。 

このように、日本社会の中でも外国語による案内併記の機会を増やしていくなど、日本語を解さない人であっても、生活しやすい社会環境をつくっていくことは、とても重要だと感じました。

さまざまな方面での「国際化」が進んでいる現代にあって、このような形での“国際化”ということも、非常に大切なんだと感じました。

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11月19日~22日までの4日間、長崎県の生長の家総本山(リンク先に秋季大祭の模様がアップされています)に出張で行ってきました。

この4日間で、いろいろと素晴らしい体験をさせていただきました。

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まず初めに、私が滋賀県にいた時にお世話になったW坂さん(男性、76歳)と久しぶりにお会いすることができました。

W坂さんは今回、本部褒賞の受賞のため、総本山にお越しになっていました。

W坂さんは、以前より目が一段と悪くなられたようで、介添えを必要とされていましたが、非常にお元気そうでした。

現在もまだバリバリの“現役”で、滋賀教区の「湖国練成会(生長の家の合宿形式のつどい)」の練成主任(代行)として、活躍されています。

W坂さんは普段は非常に無口で温和しい方ですが、いったん講話をされたり、「笑いの練習」の先導をされると、“別人”のようになられる方です。

W坂さんは、「一体どこから、こんなに力強く、ハキハキとした声が出てくるんだろうか!」と思うくらいの声量で、生長の家の講師として人前で話される方です。

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今回の式典のため、生長の家の真理の伝道と普及に長年に亘ってご尽力された方々が多数、日本全国をはじめ、世界各国からお越しになられ、本部褒賞を受賞されていました。

改めて、こういった方々のご貢献のお陰で、吾々生長の家の“今”があるんだと痛感します。

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祭典の途中で、50代後半くらいのご夫婦が、体の不自由なお母さんを介添えしながらお越しになりました。

私は会場の外で「場内係」として応対しました。

お母さんは“手すり”を使っても、階段を昇ることはとても困難そうでしたので、車椅子にお乗りではなかったのですが、車椅子用の通路を通って、エレベータで会場に入ってもらうようにご案内しました。

私にとっては当然のことをしただけですが、式典が終わって、三人はわざわざ私に対して、非常に丁重に、お礼の言葉を何度もくださいました。

むしろ私にとっては、体の不自由なお母さんに寄り添い、体を抱きかかえるようにして支えながら一緒に歩かれる息子さんと、お義母さんの荷物や靴などを抱えて後ろから付いてこられるお嫁さんの真摯な姿に、こちらが温かい気持ちになりました。

「“親孝行”をされる息子さんご夫婦の姿って、本当に美しいな!」と私はこの時、心から感動しました。

お陰さまで、私自身も家族も普段からいたって健康ですので、なかなか体の不自由な方の気持ちや視点が分かりにくいというのが本当のところです。

しかし、今回、三人の姿を通して、階段の両脇にさりげなく設置されている“手すり”の大切さや、車椅子用のスロープやエレベーターの有り難さに改めて気づきました。

総本山で、本当に素晴らしい4日間を過ごさせていただけたと思います。

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アメリカのアマゾン社がキンドル端末から、電子メールを使って、知人・友人等に電子書籍をプレゼントできるサービスを開始しました。

このサービスの概要(流れ)を簡単に説明します。

(1)キンドル端末の所有者は、キンドル・ストアでプレゼントしたい電子書籍を購入して、 「Give as a Gift」 アイコンをクリックします。

(2)次に、プレゼントしたい相手の電子メールアドレスを指定します(もちろん「メッセージ」も送れます)。

(3)すると、相手のもとにプレゼントの通知メールが届きます。

(4)プレゼントされた相手は、このメールのリンクをクリックすれば、電子書籍をダウンロードできる、というものです。

なお、プレゼントされた電子書籍は、無料のキンドル・アプリを使えば、パソコンやアイパッド、アイポッドタッチ、アイホーン、アンドロイド、ブラックベリーなど、他の各種電子端末(アプリ)からも閲覧できるため、相手方はキンドル端末を持っていなくてもいいようです。

考えてみれば、他人へのプレゼント(贈呈)のための「機能」や「サービス」があるというのは、何か人間的で、素敵なことだと感じます。


キンドルのこのようなサービスを「どんな時に、誰を対象に使うだろうか?」と考えてみました。

「子どもや孫などの記念日(誕生日、入学進学、学校合格、成人・就職・結婚等の人生の節目など)に、本をプレゼントする」

「知人や友人、家族に、お薦めの本(自分が読んで感動したり、為になった本、是非読んで欲しい本など)をプレゼントする」、などなど。

いずれにしろ、相手のことを思ってプレゼントするわけです。

人間のこのような行為に、何か“ほのぼのした”気分になり、嬉しい気持ちになれます。


私は現在、紙媒体の書籍を購入する場合、おそらく5~7割方はアマゾンのサイトで購入していると思います。

利用されている方もいらっしゃると思いますが、実はアマゾンのサイトを見ると、同様のサービスを、紙媒体の書籍ですでに行っています。

私は普段は当然、購入した書籍の「送付先」を「自宅」にしますが、これまでに知人や友人、家族等に「是非読んで欲しいと思った本」をプレゼントするために、「送付先」を「相手方の住所」にして“贈呈”という形で送付したことが、何度かあります。


しかし考えてみれば、このように書籍等を誰かにプレゼント(贈呈)するということは、昔から行われてきたことに気がつきます。

私の家は、祖父母の代から「生長の家」を信仰していますが、私の父と母が結婚した時に、父方の祖母が、当時の神誌「生長の家」誌(現在の
月刊誌)を、母宛に他の荷物と一緒に送付してくれたそうです。

(父と母からは、双方が「生長の家」を信仰していることは、結婚してから初めて知ったと聞いています。)

今は亡き祖母(平成8年に94歳の天寿を全う)は、「信仰している生長の家のみ教えを、息子の嫁に伝えたい」という思いから、私の母に神誌をプレゼントしたのだと思います。

「この神誌を読んで、嫁として、母として、女性としての天分等を学んで欲しい」という思いから、贈呈したのだと思います。

祖母の“このような思い”は、現在、私や私の姉妹にも伝わっているというわけです。

他人(ひと)に書籍等をプレゼントするのって、本当に素敵なことだと思います。

人間にはこのように、本来「自分以外の存在のことを心から考える」という、人間ならではの“本性”があるんだなと感じます。


話が大きく飛躍してしまいますが、各人が自分のことや自分の身内以外に、
 
(地球の人口:約70億人) -マイナス (自分と身内) ≒ (約70億人)
 
のことを常に考えて生きられるようになれば、どんなに素敵な社会になるだろうかと思います。


なお、アマゾンのサービスの詳細については、同社の
こちらの頁をご覧ください。

(この記事は、アマゾンの当該サービスの利用促進を目的に書いたものではありません。)

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最近、全国各地で、クマの出没情報や人がクマに襲われるといったニュースが相次いでいます。

環境省によると、全国のクマによる死者と負傷者数は、平成22年10月末現在で120人(内、死者は4人)とのこと。

神奈川県のいくつかの街では、小中学生の子どもたちに“クマよけの鈴”を配布するとか。

クマの出没が多い理由について、「冬眠に備えて餌を探しているクマが人里に下りてくるケース」が多く、「餌となるブナやミズナラなどドングリ類の不作」のため、クマが「越冬に栄養を蓄えようとしても、山に食べ物がないので街まで来る」からであるという。 (青字箇所は毎日新聞からの転載による)

実はこのような報道を耳にしても、この段階で、私にとって“人ごと”のように思っていました。

しかし、“人ごと”ではなかったのです。

先日11月初旬に、私が故郷の滋賀県に帰ったとき、なぜか父の車が“代車”でした。

父に理由を尋ねてみると、愛車(ワンボックスカーのヴォクシー)は、何でも「シカにやられてしまった」とのこと。

10月の末頃、父が愛車を走らせていたときに、昼前にも関わらず、シカが山合から出てきたそうです。

シカは突然、道路脇からピョンと跳ねながら、道路を横断しようとしました。

しかし、タイミングが悪く、父が気づいたときには、シカは車の目の前にいたそうです。

父はもはや回避することができず、そのままシカをはねてしまいました。

シカは側道の方に跳ね飛ばされてしまったそうですが、父が後から、シカのいるはずの所に確認しに行くと、もういなくなっていたそうです。シカは無事だったみたいです。

シカは立派な角を持ったオスジカだったとのこと。

このように書くと、あたかもシカが“被害者”かのようですが、実際には父の車には後続車が続いており、対応を誤れば、大事故につながっていたそうです。

今回の“追突事故”で、父の車は前方が大破してしまいました。

父は念のため、警察署に行って「事故証明」を発行してもらったそうです。

父とシカの双方とも命に別状はなく無事で、本当に良かったと思います。

父は、シカとの“追突事故”の後、修理のため、自動車屋に車を持っていきました。

すると、そこの若主人曰く「最近、シカとの“追突事故”って、結構多いんですよ!」とのこと。

実は私にも、シカとの“遭遇体験”があります。

5~6年前、私が滋賀県の実家に住んでいた頃、仕事で遅くなって、夜11時過ぎに帰宅していた時のことです。

私は車の前方に、道路を横断する“人影”を見つけました。

「こんな夜中に、ライトも点けずに道路を横断するなんて、危ない“人”だな!」と私は思い、車の速度を緩めました。

ところが、よく見てみると、私が“人影”と思ったものは、(北海道のエゾシカには及ばないでしょうが)立派な角を持ったオスジカでした。

私はクマやシカの生態等についてはよく知りません。

また、私の実家のある地域は、確かにクマやシカ、イノシシ等が出没しても、そう珍しくはないような田舎です。

私が小学生の時には、登下校の途中で、たまにシカやイノシシ、ニホンザル、キツネ等を見かけたものです(さすがにクマは一度もありませんが)。

しかし、このように、全国各地でクマやシカ等が山里などにちょくちょく出没しているのは、彼らが住む山林などで、何らかの生態系の破壊が進んでいるからと考えられるのではないでしょうか。

  

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先日、婚約を発表したイギリスのウィリアム王子とケイト・ミドルトンさん。

故ダイアナ妃の面影のあるウィリアム王子は、爽やかでかっこよく、イギリスの王族のお方らしく、さすが気品があるなと、以前から思っていました。

今回の報道で、28歳になられた王子を拝見すると、本物のイギリス・ジェントルマンらしい、風格漂わせる“大人な”男性になられたなと感じました。

ケイトさんは、貴族ご出身のダイアナ妃とは違って、“庶民”のご出身とのことですが、非常に美しく気品があり、知性的で、魅力溢れる、素敵な女性だと感じました。

ケイトさんは、ファッションセンスも抜群で、どんな格好をされても似合いそうな方です。

(私が言うのも何ですが、)イギリスの次々代の王になられる、王子のお后に本当に相応しい方だと感じました。

今回、お二人についての報道で特に感激し、感心したのが、ウィリアム王子が亡き母であるダイアナ妃の婚約指輪を、ケイトさんに送ったという話です。

日本の“庶民”出身の私の妹の話を出してきては大変失礼かもしれませんが、先日結婚した上の妹は、花婿のお母さんがご自分の結婚式で着られたという着物を、披露宴で着ていました。

確かに着物のデザインが少し古い感じはしましたが、私はこのことを知って、「(我が妹ながら)粋なことをするなあ!」 「“実の母親”にしろ、“魂の母親”(=配偶者の母親)にしろ、お母さんの着ていた着物を、花嫁が着るのって、何か素敵だな!」と感じました。

こういったことは“万国共通”なんだと思います。

ウィリアム王子とケイトさんの婚約報道を受け、マスコミは、経済効果が○○億円になると予測されているとか、ケイトさん愛用のファッションブランドが来年は流行るだろうとか、報道しています。

こういった話はともかくとして、現在、失業率が高いイギリス社会が、お二人の結婚により「明るくなる」という話には、とても嬉しい気持ちになりました。

実は私は、大学3年生の夏休みにイギリスで一ヶ月ほどホームステイしたことがあり、日本と同じ島国で、伝統深い国であるイギリスは好きな国の一つなんです。

ウィリアム王子とケイトさん、お似合いのお二人の婚約(と結婚)に、遠く日本から、心からの祝福を送りたいと思います。
 

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プロフィール
HN:
近藤 慎介 (こんどう のりゆき)
HP:
性別:
男性
職業:
宗教法人「生長の家」本部職員
趣味:
自分を高めること、読書、サッカー、柔道、英語、認知科学など
自己紹介:
滋賀県出身

東京都在住

千年以上続く、真言宗(高野山真言宗)の寺院(岡山県)の家系に生まれる。

真言宗の僧侶である祖父(権大僧正)と伯父(大僧正)を持つ(ともに大阿闍梨)。

昭和前期に、父方の祖母と母方の祖父が生長の家に触れる。

母より生長の家のみ教えを伝えられ、青少年練成会(小中高生向けの合宿形式のつどい)に参加する。

大学卒業後、民間会社に勤務の後、平成18年5月に宗教法人「生長の家」本部に奉職する。

平成22年3月、本部講師を拝命、現在に至る。

平成22年7月、生長の家教修会(生長の家の学会)で、「今日の自然観(心理学の視点から)」についての発表担当を務める。


<マイツイッター>(ブログ形式)
http://twilog.org/Shingon_Sni



<人生の7つの目標>

1.自分の使命と役割を全うする

2.人間の差別を克服する

3.人類の飢餓を克服する

4.宗教・宗派間の融和を実現する
5.自然と人間との大調和を実現する

6.世界の永久平和を実現する

7.地上極楽浄土を実現する

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