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このブログは生長の家の真理普及のために運営していますが、内容や発言はすべて私個人に責任があります。宗教法人「生長の家」の公式見解ではありませんので、予めご了承ください。 ご不明な点は、shingonsni@gmail.com までお問い合わせください。   (ブログ開設日:平成21年9月15日)
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10月11日から3日間、仕事で、北海道に来ています。

私は、相愛会事務課で、北海道ブロックと甲信越ブロックを担当しています。

今回、訪れたのは、札幌市と滝川市(空知教区)です。

夏に来たときとは違って、すっかり寒くなってきた札幌市、さらに寒かった滝川市。

すでに初雪が降った山もあるそうです。

徐々に冬模様に変わりつつある北海道。

地元の人の中には、薄手のコートを羽織っている人もいます。

私は、慌しかったこともあって、東京にいるときの格好のままで来てしまいましたが・・・。

さすがに朝は少し寒かったです。

実は、北海道に初めて来たのは、平成19年3月、つまり、仕事で来るまでは来たことがありませんでした。

それから、おそらく25回前後は北海道に来ているのではないでしょうか?

北海道の主要な街、地域は、大方、訪れていると思います。

改めて思うことは、北海道は、外から見ると、「北海道」としてまとめて考えてしまいますが、それぞれの街、地域の雰囲気や個性等は、本当に違うということです。

それぞれの街、地域に「良さ」「味わい深さ」「趣」・・・とでも言うべきものがあります。

皆さんも、北海道の各街を訪問してみてください。本当に素晴らしいですよ!

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10月10日(土)、10月の「聖典講義」を担当しました。

今回は、「永遠に価値ある真理」と題して、谷口雅春先生著『無門関解釈』と故 谷口清超先生ご追悼グラフ 『真・善・美を生きて』 をテキストに、講話をさせていただきました。

聖典講義を担当するようになって、約2年半経ちますが、いつも気になることは、受講者の表情や態度です。

講話中に、受講者の中に、(実際には眠っているわけではなくても)目をつぶりながら話を聞いている人がいると、「僕の話が退屈だから、眠たくなったのかな?・・・」と、少し動揺してしまいます。

でも、考えてみれば、私が誰かの講話を聴くときに、ずっと講師の方に顔を向けて話を聴いているかというと、そんなことはなく、下を向いたり、たまにはウトウト?!したりしていたことに気づきます。

“その立場”になって、初めて分かることがあります。

また、何があっても「動じない心」を養うことも大切です。

聖典講義を担当し、いつも感じることは、参加される方々の、生長の家のみ教えに対する、直向きな信仰姿勢です。お馴染の人も結構います。

「講話に感動しました!」とか、「話を聞いて、心がすっきりしました!」とか言われると、「皆さん、讃嘆上手だな・・・」とは分かっていても、やはり嬉しくなります。心のエネルギーが沸いてきます。

僕自身が、逆に、受講者の皆さんに、講師として“育てて”もらっているんだなと、いつも感じます。

僕も、祈りと愛語と讃嘆の言葉の創化力を駆使し、周りの人たちの潜在力を引き出せるような人間になりたいと思います。

これからも、様々な機会を通して、とことん精進していきます。

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10月8日、台風が日本列島を縦断しました。

毎年、激しい台風が何本も押し寄せる沖縄では、人々が台風の日には家でおとなしくしているため、あまり人的被害は多くない、といったことを以前、テレビで言っていたことを思い出しました。

今日は、休日ということもありますが、沖縄の人々の「知恵」に学んで、午前中は家でおとなしくしていることにしました。

しかし、午後からは、打って変わって、快晴になりました。

朝の天気が嘘のようでした。

(少し強引な話の展開になりますが、)
吾々の人生に起こることも、この日の天気のようなものです。

悪天候に見える空の上には、実は、太陽という“神様の愛と光”が、常に照っているのです。

一見、不幸に見えることが起こっても、心を煩わせることなく、常に神様の方向を観ていれば、万事好都合、いつのまにか良くなってくるのです。

この日の天気は、そんなことを教えてくれたと思います。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 幸福を招く365章』(258頁)で、次のようにお説きくださっています。

「神の愛は吾等を取巻いてい給うのである。

何事が起って来ようとも、それは現象であり、心のスクリーン上に映った映画の一断片に過ぎないのである。

映画の一断片にどんな不幸なことが顕れていようとも、そんな事に心とらわれてはならないのである。

吾々は常に光源に振向くことによって、光ばかりの世界を見ることが出来るのである」

現象の不幸と見えることに心をとらわれないで、常に神様の愛と光の世界を観る、揺るぎのない絶対の信仰心をしっかりと養っていきたいと思います。

それには、最低、朝と晩に、神想観(生長の家の座禅的瞑想法)の実修が欠かせません。

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数年前に、ある教区の春季中学生練成会(中学生を対象にした、生長の家の合宿形式のつどい)に出講しました。

参加した中学生たちはみな素晴らしく輝いており、練成会を受講する姿は真剣そのものでした。

座談会の時間には、「今回、青少年練成会に参加したみんなで、ジュニア友の会(生長の家の中学生のあつまり)を発会しよう!」とか、「毎月、ジュニア友の会を開いて、みんなでまた集まろう!」とか、いろいろと決意してくれるなど、非常に頼もしさを感じました。

「この子たちが、将来の生長の家を担ってくれるんだ!」

そう思うと、嬉しくなりました。

ただ一つ気になったことがありました。

それは、食事の時における、ある中学生の姿勢でした。

テーブルの上で、うずくまっているような姿勢で食べています。

さすがにあまりにもひどかったので、「これはほっとく訳にはいかない!」と思いました。

でも、こんな時には、注意の仕方に本当に気を遣います。

「何と言ったらよいか?」と考えました。

「そうだ、“日時計主義”の言い方で言おう!」と思いました。

“日時計主義”とは、「人生の明るい面、人の良い面を観る生き方」のことです。

「でも、こういうときに、どういう言い方が“日時計主義”なんだ・・・」と一瞬、考えました。

「心の中で、その子の完全円満なる実相(本当の姿)を祈りながら、とにかく、相手の中に“悪”なるものを観ない、指摘しない言い方ならいいんじゃないか!」と思い、次の台詞にしました。

「正しい姿勢で食べると、もっと美味しくなるよ」

その中学生は一瞬、キョトンとしていましたが、こちらが意図することを直ぐに理解し、姿勢を正してくれました。

以後の食事の時間に、その中学生を意識し観察していましたが、いつも、背筋をしっかりと伸ばして食べていました。

「やはり“日時計主義”の生き方は素晴らしい!」ということを実感しました。

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日々、努力しているのに、目に見えた成果となってなかなか表れてこないってことはありませんか?

学校の成績、就職、仕事、資格試験や語学の勉強、人間関係、等々・・・。

「“アイツ”は、あんなに活躍しているのに・・・」

「“アイツ”は、すでに実績をあげているのに・・・」

「それにひき替え、自分は・・・・・・」

他人と比較して、自己嫌悪に陥ることになります。

そんなとき、あなたならどうしますか?

「もしかして、自分には才能がないんじゃないか・・・」と思って、諦めてしまいますか?

「これ以上頑張っても、無意味なんじゃないか・・・」と思って、努力を止めてしまいますか?

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 希望を叶える365章』(47頁)で、次のようにお説きくださっています。

「私は祈ったけれども、何らの効果がなかったと云うような人は、・・・<中略>・・・愛と決意と努力の継続がなされていたかどうかを反省する必要がある。

努力はしたが、努力の継続の日数が足りない場合には表面的には無効果の如く顕れているけれども、潜在的にはその効果が着々進んでいることがある。

それは恰も片栗粉に湯を注ぐようなもので、最後の一滴までその努力をつづけるとき、希望の片栗粉が透明になるのである」

私たちが努力するとき、「費やした時間」や「費やした量」に比例して、目に見えた形で成果が出てくれば、こんなにやり甲斐のあることはありません。

残念ながら、そのようにはできていないようです。

おそらく、神様は、努力する「楽しみ」を、吾々人間に与えてくださっているんでしょうね!

きっと、神様は、努力が実ったときの「喜び」を、吾々人間に、どうせならたくさん与えたくて、仕方がないんでしょうね!

だから、ご安心ください。

目に見えた成果が出ていなくても、目に見えないところで、確実に生長しているのです。

人生に無駄なことはありません。

「成長曲線」というのをご存知でしょうか?

横軸が年齢、縦軸が身長や体重を表すグラフのことではありません。

努力がどういう経緯を辿り、、成果となって結実するかを表すグラフのことです。

つまり、努力をしても、初めは、目に見える成果となってなかなか現れてこないが、「ある時」を境に、突然、ぐーっと伸びてくることを示したものです。

まだ努力が実っていないということは、「ある時」に、まだ達していないということです。

「ある時」が来る前に止めてしまってはもったいない!

あなたが努力を諦めずに続けていけば、「ある時」を境に、神の子の無限力を発揮し、いつか実を結ぶときが必ずやってきます。

そして、無限力を発揮し出したあなたには、大きなチャンスもやってくるのです。

毎日の努力を、喜びを持って積み重ねていけば、いつか、すべてが変わります。

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みなさん、挨拶はしっかりとできていますか?

「挨拶」という言葉は、本来、「相手に近づき、心を開く」という意味があります。

本来の意味通りの、素晴らしい挨拶ができていますか?

やはり、挨拶は、相手の目を見て、元気よく、「おはようございます!」といきたいところです。

そんな挨拶を見ると、こちらも元気になれます。

でも、なかには、例えばパソコンの方を向いたまま、相手に背を向け、(ぼそっと)「おはようございます」と、“形だけの”挨拶をする人がいます。

信仰とは、決して「聖典を読むこと」 「宗教行をすること」だけを指すわけではありません。

信仰とは、「自分が信じることを、生活の中で表現することだ」という言い方ができるのではないでしょうか?

信仰者にとって最も大切なことは、人間として「当たり前」のことがきちんとできることだと思います。

まずは、自分自身が、人間として、大人として、社会人として、「当たり前」のことがきちんとできているかどうかを、常に意識することを心がけてみてはいかがでしょうか?(もちろん僕自身も含めた話です)。

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東京に住むようになって、はや2年半余りが経過しました。

おおよそ一カ月ごとに、行きつけの理容院にずっと通っています。

「結構、いい値段がするのに、どうして、僕はこの理容院を気に入っているんだろうか?」と考えました。

確かに、髪を切る場所を変えることは、結構、勇気が要るからということもありますが、一番大きな理由は別のところにあります。

それは、その理容院で働く理容師さんたちがみな、非常に高いプロ意識を持って仕事をしているからだと思います。

世間で言う、「カリスマ理容師」と呼ばれている人がいるというわけではありません。

彼らが仕事をする姿を見ていつも感じることは、本当に基本に忠実に、非常に丁寧に仕事をしているということです。

あたかも「生卵」を扱うかのように柔らかいタッチで、客の顔や頭部に触れ、理髪作業をしています。

自分の仕事に誇りを持って、仕事をしていることを感じます。

とても楽しんで喜びを持って、仕事をしていることを感じます。

非常に真心を込めて、仕事をしていることを感じます。

まさに理容師“道”を追求しているのです。

そんな理容師さんたちの働く姿を見ていると、「僕も、自分の仕事に対して誇りとプロ意識を持ち、全力で仕事をしたい。一つの“道”をとことん追求していきたい」と、毎回、決意を新たにします。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 希望を叶える365章』(50頁)で、次のようにお説きくださっています。

「仕事は表面は賃金のために働くような外観を呈しているが、仕事の最も重要な内在的意味は、人は仕事を通して人類に奉仕し、仕事を通して愛を実現し、仕事を通して自己の魂を発達向上せしめると云うことである。

仕事がなければ、吾々は人類に奉仕することができず、愛を実現することができず、自己の魂を向上せしめることができないのである。

仕事は自己の魂を向上進歩せしめるための教材である」

改めて、世の中というものは、人類に奉仕し、愛を実現し、自己の魂を発達向上せしめるために、個々の使命に邁進し、“いのち”を懸けている人たちで成り立っていることを痛感します。

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誰もが幸福になりたいと願っています。幸福を願わない人なんていません。

もちろん、幸福の「定義」は人それぞれ異なると思います。

幸福とは、お金をたくさん持ち、物質的に豊かであることだと考えている人がいるかもしれません。

人生が順調に行って、何でも思い通りになることだと考えている人がいるかもしれません。

でも、それは、自分の周りの物理的環境が良くなって欲しいという意味かも知れません。

「僕も、物理的環境さえ良ければ(良くなれば)、幸せなのに・・・」ということです。

でも、そのような幸せは、単に物理的環境が良いから、幸福だと感じているだけかもしれません。

当然、物理的環境が思っているとおりにならなければ、「自分は何て不幸な人間なんだ・・・」ということになってしまいます。

本当の幸福とは何でしょうか?

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 幸福を招く365章』(84頁)で、次のようにお説きになっています。

「幸福は常に内より来る。

外に百万の富があろうとも、心の中に平和なければ何の幸福ぞや。

外に何の富がなくとも、心に平和ありて、人を愛することが出来るとき、それが本当の幸福なのである」

吾々は、人生の“主人公”でなくてはなりません。

ここで、誰もが実践できる、最も簡単な「幸福になる方法」をお教えしましょう!

特別な「何か」を持っていなくても、誰にでもできることです。

それは、他人の幸福を祈ることです。

他人の幸福を考えることです。

他人のために、自分が何をできるかを考えることです。

他人が喜ぶような、言葉がけをすることです。

他人のいい面を、言葉に出して褒めてあげることです。

他人が喜ぶような、行いをすることです。

他人の幸福を願える人の顔は、光輝いて見えます。

それは、神の子らしい生き方、内部神性を表す生き方をしているからです。

そんな生き方が、人生における“喜び”となったとき、吾々は魂からの幸せ、最高の幸せを感じることができるのではないでしょうか?

人生における「最高の価値」とは、他人をどれだけ幸せにできるかということです。

結局、そのことが自分自身の幸福にもつながるのです。

つまり、幸せは、自分自身の中にあるということです。

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何か新しいことに挑戦するときに、あるいは、現状を超える何かに取り組もうとするときに、「できるのか」「できないのか」を考えると、どうしても、「できない」と判断してしまうことの方が多いのではないでしょうか?

「僕には、そんなことはできない」と考えがちです。

でも、それは「できない」のではなく、「ただやろうとしていない」という意味だったり、「初めから、何もやらずに諦めています」という意味だったりします。

つまり、一度もチャレンジすらしていないのです。

やる前から「できない」と考え、自己限定しているだけなのです。

今までで、何か思い当たることはありませんか?

人間には、神の子の無限力があります。

もちろん、ここで言う「神の子の無限力」というのは、肉体的なパワーのことではありません。そんなものは、たかが知れています。

神の子の無限力は、吾々の内(肉体の内部という意味ではない)にあって、「その無限力を出したい、出したい」と、実はウズウズとしているのです。

その無尽蔵の力が出せるチャンスを、今か今かと待っているのです。

自分の「本心」に聞いてみましょう!

「本当にできない」のか?、それとも「ただやろうとしていないだけ」なのか?

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吾々多くの日本人にとって、イスラム教という宗教は、日常的には非常になじみが薄いと言えます。

吾々がイスラム教やイスラームに関する事柄を知るといっても、どうしてもマスコミからの報道等を通しての「間接的な」情報や知識が中心となってしまいがちです。

そのため、マスコミの特徴とも言える、「社会の中の悪い面を意識的に選び出し、それをセンセーショナルに強調し、繰り返し報道する」という性質を考えると、日本人が持つイスラームに対する印象は、必然的に偏ったものとなってしまっているのではないでしょうか?

しかし、世界に目を向けてみると、現在、世界の宗教分布は、キリスト教徒が約20億人(世界人口の約33%)、イスラム教徒が約13億人(約22%)、ヒンドゥー教徒が約9億人(約15%)、仏教徒が約3億6000万人(約6%)と、イスラム教は世界第二の信者を持つ宗教となっています。

さらに、今後の動向としては、イスラム教を信仰する地域には、若年層が多いことを考えると、いずれ世界で信者が一番多い宗教となることは間違いありません。

生長の家のみ教えの3つの柱の一つは、「万教帰一」(すべての正しい宗教の神髄は同じである)です。

このことは、イスラム教についても当てはまります。

そこで、生長の家の「万教帰一」のみ教えを「鍵」に、イスラム教の中にある「万教帰一」的な面を学ぶことは、今後、宗教や宗派の違いによる、無用な戦争や争いを招かないためにも大切なことだと思います。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、
『衝撃から理解へ』(はしがき)で、次のようにお説きくださっています。

「信仰者が他宗教との“違い”を見つめることは、宗教間に争いを生む原因となるのである。“共通点”を見出し、それを認め合うことによってのみ宗教間の共存が可能となる」

また、国際化がより一層、進展していく中で、日本においてもイスラム教を信仰する人と接する機会が、生活や仕事等の場において、今後、増えていくことは間違いありません。

そのため、相手の宗教に対する「最低限の知識」を持ち、理解することは、必須の事柄と言えるのではないでしょうか?


 >>お勧めの聖典等:

    生長の家総裁・谷口雅宣先生著
        『衝撃から理解へ ~イスラームとの接点をさぐる~』

        『信仰による平和の道 ~新世紀の宗教が目指すもの~』

    生長の家前総裁・谷口清超先生著
         『歓喜への道 ~二十一世紀のために~』

        『新しいチャンスのとき』
   
    カリード・アブ・エル・ファドル著
      
『イスラームへの誤解を超えて ~世界の平和と融和のために~』

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プロフィール
HN:
近藤 慎介 (こんどう のりゆき)
HP:
性別:
男性
職業:
宗教法人「生長の家」本部職員
趣味:
自分を高めること、読書、サッカー、柔道、英語、認知科学など
自己紹介:
滋賀県出身

東京都在住

千年以上続く、真言宗(高野山真言宗)の寺院(岡山県)の家系に生まれる。

真言宗の僧侶である祖父(権大僧正)と伯父(大僧正)を持つ(ともに大阿闍梨)。

昭和前期に、父方の祖母と母方の祖父が生長の家に触れる。

母より生長の家のみ教えを伝えられ、青少年練成会(小中高生向けの合宿形式のつどい)に参加する。

大学卒業後、民間会社に勤務の後、平成18年5月に宗教法人「生長の家」本部に奉職する。

平成22年3月、本部講師を拝命、現在に至る。

平成22年7月、生長の家教修会(生長の家の学会)で、「今日の自然観(心理学の視点から)」についての発表担当を務める。


<マイツイッター>(ブログ形式)
http://twilog.org/Shingon_Sni



<人生の7つの目標>

1.自分の使命と役割を全うする

2.人間の差別を克服する

3.人類の飢餓を克服する

4.宗教・宗派間の融和を実現する
5.自然と人間との大調和を実現する

6.世界の永久平和を実現する

7.地上極楽浄土を実現する

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