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このブログは生長の家の真理普及のために運営していますが、内容や発言はすべて私個人に責任があります。宗教法人「生長の家」の公式見解ではありませんので、予めご了承ください。 ご不明な点は、shingonsni@gmail.com までお問い合わせください。   (ブログ開設日:平成21年9月15日)
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ヘンリー・D・ソロー著「森の生活」を読みました。

上下巻で約650頁の大著です。

同書を読み進めると、ソローがウォールデン湖畔の森の中で自給自足生活を営む様子や四季の移ろい、動植物の生態等が、臨場感を持って、ありありと目の前に浮かんできました。

<< 全身がひとつの感覚器官となり、すべての毛穴から歓びを吸いこんでいる。

   私は「自然」の一部となって、不思議な自在さでそのなかを行きつ戻りつする。 >>

    ( 「森の生活」上巻 233頁より ) 

目を閉じると、私自身が今すでに森の中にいるように感じられました。

全身の感覚が自然の中にいるかのように「切り替わる」のを感じました。

初版は今から150年以上前の古い本ですが、同書を通して、精神的に豊かな森の生活を「体験」することができるのではないかと思います。

同書を読んで、吾々現代人が人生をいかに生きるべきかについて、内省させられました。


※この記事は、私のツイッターの「2つのツイート」を元に、お幅に加筆して作成しました。

 

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10月16日(土)、生長の家本部会館で聖典講義を担当しました。

聖典講義終了後、一人の男性から個人指導を依頼されました。

個人指導の内容はプライバシーの関係で割愛しますが、この方が、今日の聖典講義に参加されたきっかけを聴いて嬉しくなりました。

それは「生長の家のホームページを見て参加しました」とのこと。

このように、ホームページという「バーチャルな世界」を経て、聖典講義という「リアルな世界」に顔を出す人が、既に存在しているということです。

あくまで私の場合ですが、本部の聖典講義の参加者から、このように言われたのは初めてでした。

私は「いよいよ、こんな時代になったんだ!」と思いました(少し大げさでした)。

男性は東京都在住の40代半ば位の方で、信仰に対して非常に熱心で、神想観に大変興味を持たれていました。

男性には、本部練成道場(東京都調布市)の練成会か、お住まいの東京第一教区の練成会への参加を勧めました。

男性との会話を通して、ネットとリアルな行事の連携の大切さを、改めて痛感しました。


※この記事は、私のツイッターの「2つのツイート」を元に、お幅に加筆して作成しました。


 

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先日、私が列に並んで、電車の到着を待っていた時のことです。

小学校高学年ぐらいの男の子が一人、並んでいる列を無視して、スルリと列車に乗り込み、席を3名分ほど占領して座ってしまいました。

私は電車では、「座らない主義」ですが、少年の「身のこなしぶり」に、次のように思いました。

「躾のなってない子だな! 親の顔が見てみたいな!」

しかし、(表現は悪いですが)「このご時世」では、注意するわけにもいきません。

私は「いけない」とは思いつつ、見て見ぬふりをしました。

すると、大きな声で、その子を注意する一人の女性がいました。

「あなたは中学生にもなって、こんなことをするなんて、お母さん、恥ずかしいは!

列に並ばないで、席を取るなんて!

きちんと“社会のルール”を守りなさい!・・・」

どうやら、少年のお母さんのようです。

少年のお母さんは、数分間にわたり、人目も憚らず注意していました。

私は親子の方をできるだけ見ないようにしましたが、どうやら小学生の妹さんも一緒のようです。

ちょうど夏休みに入って、親子3人でどこかに出かけていたのでしょう!

私が思うに、少年としては、お母さんと妹さんのために、何としても「3つの席」を確保したかったのでしょう!

しかし、わが子の「将来」のことを考え、きちんと息子さんのことを注意した、お母さんには感心しました。

おそらく、周囲にいた大人たちも、同じような思いだったと思います。

当の少年も、お母さんから注意されて、一言も言い返すことなく、粛々と聞いていました。

私は「この少年は、今回のことで、今後はお父さんやお母さんを悲しませないような「立派な子」に、きっとなるだろうな!」と思いました。


※この記事は、私のツイッターの「3つのツイート」を元に、お幅に加筆して作成しました。

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熱戦が繰り広げられたサッカーのワールドカップ南アフリカ大会。(もう古い話題ですが)

以前から、ヨーロッパでは、オランダとスペインを応援していた私にとって、決勝の「スペイン対オランダ戦」は、まさに夢のような対戦カードでした。

日本人にとって、体格的にほとんど変わらない、小柄な選手(身長170センチメートル台)が多いスペイン代表の選手が、ワールドカップ優勝国として、普段は各国の強豪チームで、まさに「ワールドクラス」に活躍している姿を見ると、日本のサッカーのこれからにも大いに希望を感じました。

何でも、先発出場の選手の平均身長を見ると、日本人選手が179センチメートル、スペイン人選手が176センチメートルと、日本人の方が背が高いそうです。

大会の前後には、日本人選手が数名、ヨーロッパの強豪チーム等に移籍するなど、今後の日本サッカーのレベルアップへの期待を感じさせられます。

ここからが本題となりますが、スペイン代表として優勝に大きく貢献した、セルヒオ・ラモス選手のことを紹介します。

ラモス選手のことをご存じない方が多いと思いますが、今回のワールドカップで、スペイン代表の不動の右サイドバックとして、長髪をなびかせながら、右サイドを幾度となくオーバーラップし、チャンスを作り出していた選手です。

なぜかいつも「ニコニコしながら」プレーしているのが印象的で、爽やかな笑顔が非常に印象的でした。

まさに、陽気な「ラテン系」といった感じの選手です。

このラモス選手ですが、ワールドカップの終了後、数日しか経っていないのにも関わらず、ユニセフの慈善活動の一環として、アフリカのセネガルを訪問していたそうです。

本来ならば、ゆっくりと静養するか、優勝に貢献した選手としてパーティーにでも参加したいところです。

ラモス選手は、このような慈善活動を、世界の貧しい国の子どもたちに「夢と勇気」を与えたくて行っているそうです。

ラモス選手は、次のように話しています。

「私の夢がふたつ叶ったんです。ワールドカップで優勝したこと。

そして、アフリカに来て、子どもたちと触れ合えたことです」


ラモス選手は、実際にセネガルに赴いて、貧困の中、医療設備も満足に整っていない地域に住んでいる子どもたちとの触れあいを通して、次のように感じたそうです。

「こうした子どもたちに会って、子どもたちが暮らしている環境を目にしてから、私たちが持っているものの中には、なくてはならないものもあるし、全く必要のないものもあるということに気がつきました」

ラモス選手は、「なくてはならないもの」のひとつとして「教育」をあげています。
 
ラモス選手は「全く必要のないもの」については、具体的に言及していませんが、おそらく、物質的に過度に満たされ、さらに物資的な豊かさを追い求めようとしている、吾々先進国の人間の生活のことが言いたいのではないかと感じました。

ラモス選手は、セネガルで行われたサッカーの子どもの大会にゲストとして参加し、サッカーを通して、地元の子どもたちとの交流を深めました。

ラモス選手は、次のように話しています。

「私は、とても質素な家庭で育ちました。

子どものころ、いつかワールドカップで優勝することが夢でした。

子どもたちに、夢を持ち続けること、その夢に向かって歩き続けることを伝えたいです。

学校に行って、一生懸命勉強して、『決してそんなことはできない』と言わないこと。

夢は叶えられるのだから」


ラモス選手の高い志に、私は感動しました。

吾々は日々生活を営んでいく中で、先進国の人間の「恵まれた」生活が「当たり前」のように感じがちです。

しかし、世界に目を向ければ、今こうしている時にも、まだまだ貧困や困難の中で生きている人がたくさんいるのです。

吾々先進国の人間は、このような世界の現実に目を向け、思いを寄せることが必要であると感じます。

そして、どんな些細なことでもいいので、日常の中で、吾々が個々に出来ることに取り組んでいくことが大切だと思います。

ラモス選手の生き方を通して、強く感じました。

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私のツイッターに、今年3月19日付で、次のような記事(2回にわたって)を書きました(原文のまま)。

サッカーのヨーロッパCLの決勝トーナメントで、日本人初ゴールと8強進出を決めた、本田圭佑選手(ロシア・CSKAモスクワ)。
私も、彼が高校生の頃から注目していた期待の選手です。
「日本人初」をやたらと強調する、マスコミの報道とは裏腹に、試合後の本田選手の言葉が何とも言えません。

「日本人初とか興味がありません。僕が目指しているところははるか上なんで・・・」
聞きようによっては、生意気な発言に聞こえるかも知れませんが、私はそうは思いません。
彼の現状に満足することなく、常に「高み」「はるか上」を目指す姿勢を見習いたいと感じました。

この発言にも現れているように、本田選手は自分の「理想」「夢」「目標」「将来の姿」・・・といったものを、強くイメージし自覚し、このような「高み」を常に意識して生きているのです。

このような「高み」を基準に、この「高み」から「現在の自分」を見ながら、生きているのです。

本田選手は私よりも一回りは年下ですが、その生き方に非常に関心しました。

このような生き方をしている本田選手ですから、私自身、先日のワールドカップで活躍した姿には、「彼なら当然だろう!」と思いました。

サッカー選手に限りませんが、いちやく「時の人」になっても、現状に「ちわほや」されたりして自分を見失い、その後「ただの選手」になってしまった「将来を期待された選手」が数多くいます。

しかし、本田選手のように、常に自分の「高み」を意識し自覚していき、その「高み」から現在の自分を見るような生き方をしていけば、現状や目先のことに「埋没」してしまうことなく、常に「謙虚」に、自分自身をずっと高め、精進していけるような生き方が出来るのではないか・・・と、本田選手の生き方から感じました。

本田選手は、ワールドカップの後、帰国し、小学校や中学校、高校など、自分の母校を回り、子供たちや若者たちに「夢を持つことの大切さ」や「あきらめないことの大切さ」などを語って回ったそうです。

当然のことながら、本田選手の元には、テレビなどへのたくさんの出演依頼が殺到した(非常に「好条件」のものもあったらしい)そうですが、それらをすべて断り、「(おそらく)無償で」自分よりも若い人たちを「激励」することの方を優先させたのです。

このような行為を見て、私は「とんでもなく凄い若者だ!」と、本田選手に対して、尊敬の念さえ感じました。

本田選手は、「銀河系軍団」と言われる、スペインのレアル・マドリッドに入団して活躍し、エースナンバーの10番を付けることが「夢」「目標」だとのこと。

本田選手のこれからに、大いに期待したいです。


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先日のサッカー・ワ-ルドカップで、日本代表の「エース」となった本田圭佑選手(CSKAモスクワ所属)。

私にとって、彼が高校生の時(おそらく高校3年生の冬の高校選手権の頃です)から目を付けていた選手だけに、ワールドカップでの活躍は非常に嬉しく感じました。

このように、「時の人」である本田選手ですが、現在の活躍の背後にはさまざまな「苦労」があったのです。

本田選手は大阪の出身で、中学時代にはガンバのジュニアユースに所属していました。

プロを目指す以上、そのままガンバのユースチームに上がりたいところですが、実は、本田選手は、ユースに「昇格」できなかったのです。

その後の活躍を考えれば、非常に意外です。

しかし、ここからが本田選手の凄いところ。

なんと彼は、自分自身を「厳しい」環境に置くために、親元を離れ、石川県の星陵高校に進学したのです。

中学から高校に進学する時期と言えば、まだまだ親元で暮らすのが当たり前の年齢です。

さすがは「志の高い」本田選手は凄いと思います。

その後、本田選手は、高校を卒業し、名古屋グランパスに入団しました。

入団するにあたり、本田選手がグランパスと交わした契約条件には、次のようなものがあったそうです。

(私の記憶に間違いがなければ)
「海外チームからのオファーが来たら、移籍を認める」
「オフ中にサッカーの海外への短期留学を認める」

このように、プロになる段階で、すでに「先」を見据えていました。

本田選手は、「海外留学」については、実際にオランダに短期留学して、練習に参加し、現地チームに「アピール」する機会を作っていました。

その後、本田選手は、2008年にオランダ一部リーグのVVVフェンロへの移籍を果たすなど、「念願」を果たしました。

当時、このような報道を見ていて、「自分のビジョンを掲げ、それに従って歩んでいくなんて、凄い若者だ!」と、私自身、本田選手が自らの「ビジョン」を確実に実行している姿に、正直、非常に感心しました。

ところが、本田選手の活躍にも関わらず、2007-2008年のシーズンの成績で、本田選手の所属するVVVフェンロは、オランダの2部リーグに降格することになってしまったのです。

本田選手は、(たしか)ワールドカップ前のインタビューで「僕のサッカーのキャリアの中で、2部リーグでプレーするなんて、考えてもいなかった。この“どん底”からどうやって這い上がっていったらいいんだと思った」といった趣旨のことを話しているぐらいですから、よほどショックだったと思います。

しかし、本田選手は、2部リーグという、スカウトがほとんど見に来てくれそうもないような環境の中で、「自分をアピールするには、とにかく点を取るしかない!」と考え、これまでのような「パサーとしてのプレースタイル」から、現在のような「点を取りに行くプレースタイル」に変えていったそうです。

また、2008年の北京オリンピックでは、サッカーの日本代表は、吾々が期待するほどの結果を残せないまま終了しました。

当然、本田選手にとっても非常に不本意な結果であったそうです。

しかし、最近のマスコミへのインタビューによると、このときの「悔しい経験」が、オランダ2部リーグ落ちと合わせて、本田選手にとって、これまでの自分自身を大きく変える「きっかけ」となったとのことです。

改めて、自分の「境遇」をどのようにとらえるのか、その「境遇」の中でいかに生きるのか、「結果」をどのようなものとしてとらえるのか、その「結果」を受けて、その後、どのように生きるかの方が大切であることを感じます。

(以下、次号に続く)

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吾々日本人は、学校教育や家庭教育、社会人教育、その他様々な機会を通し、思い思いに「教育を受ける」ことができます。

しかし、世界には、十分な教育が満足に受けられない人々が多数存在します。

以前、あるテレビ番組で、日本人のタレントさんが、そのような地域で、現地の人たちと一緒に生活するといった内容のものを放映していました。

番組の中で、日本人レポーターが、子どもたちに、次のようなインタビューをしていました。

(日本人レポーター) 「将来の夢は何?」

先進国の子どもなら、子どもらしい、様々な夢を生き生きと話してくれると思います。

ところが、満足な教育を受けたことがない子どもたちは、どのように答えたと思いますか?

(子どもたち) 「・・・・・・」

もちろん子どもたちは、「将来の夢」という“言葉の意味”が分からなかったのではありません。

実は子どもたちにとって、「将来の夢」を持つということが、そもそも分からなかったのです。

物心がついた頃から、家計を支える“労働力”として、家族や幼い兄弟姉妹を養っていかなければいけなかった子どもたち・・・。

満足な教育を受ける機会がなかった子どもたちは、「将来の夢」を抱くことさえ考えられないということです。

私は、子どもなら当然、だれしもが「将来の夢」を持っているものとばかり思っていました。

「将来の夢」を抱くことは、すべての子どもの「特権」だと思っていました。

しかし、世界全体を見渡せば、必ずしもそうではないようです。非常に驚きでした。

私は「生まれた国や地域の違いによって、こんなに“将来の格差”があっていいのか!」と感じました。

別のテレビ番組では、番組の視聴者等から寄せられた募金で、学校がない地域や村に、小学校を建設するといった内容のものを放映していました。

学校の先生は、高等教育を受けた現地の人の場合もあれば、国連の関係機関や日本のNPOなどから派遣された人の場合もあります。

いずれにしろ、学校の先生や運営スタッフが高い使命感と情熱を持ち、子どもたちに教えている姿に、非常に感銘を受けました。

20~30代の日本人の若者やスタッフが、高い志を持ち、現地の子どもたちのために活動をしている姿に、「まだまだ日本の青年も捨てたもんじゃない!」と感じました。

何よりも、文房具等が十分にあるとは言えない環境の中で、子どもたちが見せる、学ぶことに対しての強い意欲、貧しい中にあっても、白い歯をキラキラさせながら、明るく笑顔いっぱいの生き生きとした表情に、大きな感動を覚えました。

子どもたちの姿を見ていると、「学びたい!」という意欲や、「自分をもっと発揮したい!」 「自分をもっと向上させたい!」という気持ちを、人間だれしもが、本能的に強く持っているんだなと痛感しました。

同番組の最後に、日本人レポーターが、学校で学び始めた子どもたちに、次のように質問していました。

(日本人レポーター) 「将来の夢は何?」

(子どもたち) 「学校の先生になりたい!」

(子どもたち) 「医者になりたい!」

 ・・・・・・

とても生き生きとした表情で、「自分の夢」を、吾も吾もと語っている姿が印象的でした。

教育って、本当に重要なんだと痛感しました。


※この記事は、私のツイッターへの投稿(7つのツイート)をもとに、大幅に加筆して作成しました。

 

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元巨人の桑田真澄氏(選手)が、今春、早稲田大学大学院のスポーツ科学研究科を、33人中の首席で卒業されるそうです。

桑田氏は、野球選手時代にも、選手としては最盛期を過ぎた年齢であるにもかかわらず、大リーグに移籍されるなど、“夢”を叶えた人でした。

私は「何歳になっても、とことんまでチャレンジする人だな!」と感心していました。

桑田選手が野球(選手)を引退し、大学院に進学されたときも、「まだまだ自己向上心を持って、次のことにチャレンジしていくなんて、ものすごい人だな!」と思っていました。

桑田選手は大学院在学中も、卒論が最優秀賞に輝いたり、学業成績もほとんどが「A+」であるなど、非常に優秀な成績だったそうです。

「さすが、一つの“道”で一流を極めた人は、他のどんなことにチャレンジしても、しっかりと“もの”にされるんだな!」と、私は感銘を受けました。

桑田氏は、私より少し年上なため、彼が高校生の時にPL学園でエースとして活躍されていたときから、名前を知ってはいました。

しかし、私にとっては、野球選手時代よりも、ここ最近の桑田選手からの方が、「人間」として、多くのことを学んでいるように感じます。

桑田氏は、大学院の卒業式では総代を務め、答辞を述べるとのこと。

きっと、今後、素晴らしい野球の指導者になられることでしょう!

今や死語かも知れませんが、まさに「文武両道」を極めた人です。

※この記事は、私のツイッターへの投稿(ツイート)をもとに(2つのツイート)、大幅に加筆して作成しました。

 

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私は、昨年9月からブログを書いています。更新頻度は高くはありませんが、実は結構楽しんでいます。

日常生活で何かをしているときに、ブログの記事にできる内容が、頭をふとよぎることが、何度もあります。

ところが、思い浮かんだ内容も、時間的な問題等、様々な理由から、記事として書き留めることがほとんどできていない・・・という“悩み”がありました。

また、ブログの記事作成には意外と時間がかかり、校正等を含めれば、およそ5~30分程度のまとまった時間が必要なため、(私自身の問題なのですが)頻繁に更新することが難しいということがありました。

ところが、「140文字の字数制限」という、ツイッターの一見“制約”と思われる点を上手く活用すれば、「メモする感覚」で、高い頻度で記事を投稿(ツイート)できると感じました。

「140文字」という字数も、一見短いように思われますが、逆に“一息で”書ける分量ですから、書きやすいという面があります。

実際に書いてみると、「140文字」という字数は、意外と“まとめやすい”文字数でもあるのです。

ツイッターが今、爆発的に人気が出てきている理由は、この辺りにあるのではないかと感じました。

とりあえず、様々な内容を、ツイッターに“試験的に”書いてみました。

各種行事の案内やちょっとしたお知らせ、日常生活で感じたこと、自分がポスティングジョイに投稿したこと(つまり、ツイッター側からポスティングジョイに「リンク」させたり、(「右窓」への表示を通し)ブログ側からポスティングジョイに「リンク」させる)など、どちらかというと、ブログの記事にはしづらい“短い”内容を、ツイッターに書いてみました。

もちろん、ツイッターに、ブログの記事更新のことも書いてみました(つまり、ツイッター側から、ブログに「リンク」する)。

なお、ポスティングジョイ側から、ブログに「リンク」させることは、記事「クリーニング屋で「スローライフ(産業)」を考える!(2) 」(2010/02/26付)で紹介しました。

いずれにしろ、ブログとツイッター、ポスティングジョイなどをリンクさせ、“双方向的な”ネットの活用をはかる中で、相乗効果を発揮して、生長の家のみ教えをより幅広く発信し、日時計主義の生き方を弘めていけそうだと感じました。

要するに、

(ブログ)*(ツイッター)*(ポスティングジョイ)*(・・・・・・)
=(日時計主義の実践による、光明化運動の無限の展開)

ということです。

今後、ブログとツイッターとの使い分けを上手くはかりながら、ツイッターへの記事投稿(ツイート)は、できるだけ毎日、行いたいと思います。

※今回書いた内容は、日頃からツイッターとブログを駆使している人には、当たり前の内容だとは思います。

 

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総裁・谷口雅宣先生が、ブログ「小閑雑感」の「ポスティングジョイがツイッターに参加」(2010/03/10付)という記事でご紹介されていますように、ポスティングジョイに、ツイッターへの自動投稿機能という“新機能”が加わり、ポスティングジョイの“よろこびメッセージ”が自動的にツイッターに転送されるようになりました。

ここ数日間、ポスティングジョイへのジョイ投稿が、これまで以上に活発になってきているように感じます。

ポスティングジョイとツイッターを「リンク」させることで、今後、光明化運動の一層の伸展が期待できそうです。

実は、私は以前、ツイッターのアカウントを取得したことがあったのですが、全く利用することもなく、放置したままにしてありました。

そこで、今回、ツイッターの活用方法について、改めて考えてみました。

特に「インターネット講師」として、ブログとツイッターを、どのように上手く使い分け、「リンク」させていけば、光明化運動に一層役立てることができるのかについて考えてみました。

まずは、ツイッターの“使い勝手”を、きちんと体験してみないといけません。

とりあえず、2日間「非公開」にして、ツイッターを利用する中で、“使い心地”などについて確認しました。

まだ、ツイッターの“威力”のほんのわずかしか分かっていませんが、様々な活用方法が考えられるように感じました。

総裁先生のブログ「小閑雑感」のように、私も、ツイッターの内容を、ブログのサイドバーに表示させることにしました。 (「右窓」参照)

これは、ツイッターの基本設定で、ブログのサイドバーに、ツイッターの内容を、「ブログパーツ」として逐次、時系列に表示できる機能です。

大変容易な手順で、ブログに表示させることができました。

(以下、次号へ)
 

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プロフィール
HN:
近藤 慎介 (こんどう のりゆき)
HP:
性別:
男性
職業:
宗教法人「生長の家」本部職員
趣味:
自分を高めること、読書、サッカー、柔道、英語、認知科学など
自己紹介:
滋賀県出身

東京都在住

千年以上続く、真言宗(高野山真言宗)の寺院(岡山県)の家系に生まれる。

真言宗の僧侶である祖父(権大僧正)と伯父(大僧正)を持つ(ともに大阿闍梨)。

昭和前期に、父方の祖母と母方の祖父が生長の家に触れる。

母より生長の家のみ教えを伝えられ、青少年練成会(小中高生向けの合宿形式のつどい)に参加する。

大学卒業後、民間会社に勤務の後、平成18年5月に宗教法人「生長の家」本部に奉職する。

平成22年3月、本部講師を拝命、現在に至る。

平成22年7月、生長の家教修会(生長の家の学会)で、「今日の自然観(心理学の視点から)」についての発表担当を務める。


<マイツイッター>(ブログ形式)
http://twilog.org/Shingon_Sni



<人生の7つの目標>

1.自分の使命と役割を全うする

2.人間の差別を克服する

3.人類の飢餓を克服する

4.宗教・宗派間の融和を実現する
5.自然と人間との大調和を実現する

6.世界の永久平和を実現する

7.地上極楽浄土を実現する

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