忍者ブログ
このブログは生長の家の真理普及のために運営していますが、内容や発言はすべて私個人に責任があります。宗教法人「生長の家」の公式見解ではありませんので、予めご了承ください。 ご不明な点は、shingonsni@gmail.com までお問い合わせください。   (ブログ開設日:平成21年9月15日)
フリーエリア
バーコード
ツイッター連携
Shingon_Sniをフォローしましょう
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

明けましておめでとうございます。

新春にあたり、ご家族のご健康を心よりお祈り申し上げます。


これまでの「蓄え」が大いに「花開く」年といたします。

本年も宜しくお願いいたします。


平成22年元旦


aa4f8c3c.jpeg












拍手[0回]

PR
平成21年は大変お世話になりました。

今年一年を振り返りますと、様々なことにチャレンジした一年だったと思います。

このブログも、その中の一つだと思います。

11月より、諸般の事情により、ブログの更新が滞りがちで、大変申し訳ありません。

新年明けまして、1月10日以降、一層、充実したものとしてまいりますので、今しばらくご辛抱ください。

来年も宜しくお願いいたします。


拍手[0回]

トップページの左枠覧上に「ポスティングジョイ(よろこびの投稿SNS)」のバーナーを貼り付けました。

「ポスティングジョイ」とは、生活の中で見つけた「よろこびの記事(のみ)」を投稿できるSNSです。

連日、このサイトへの登録者が、続々と増えています。

皆さんも、このサイトを通して、自他一体のよろこびを、みんなで分かち合いましょう!

毎日の生活が、より一層明るく豊かなものになること、間違いありません!

小生も、すでに登録を済ませています。ペンネームですが、探してみてください。

拍手[0回]

アフリカ大陸の最高峰・キリマンジャロの山頂付近の氷河が、このまま行くと、地球温暖化(気温上昇)により、今後25年以内に完全に消滅するという、アメリカのオハイオ州立大学の分析記事が、ニュースとして報道されています。

詳しくは、http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091104k0000e040027000c.html をご参照ください。

地球環境保全のために、吾々一人一人の生活のあり方、社会全体の経済、産業のあり方等を、自然と調和し共存できるものに変えていかないと、大変なことになると痛感しました。

それには、結局、吾々人間が個々の欲望をいかにコントロールできるかだと思います。

そのためには、やはり信仰心が必要です。

なお、生長の家の教団としての環境保全への取り組みは、こちらをご覧ください。

拍手[0回]

生長の家では、神は善なるものであり、神の子である吾々人間も、善なる存在であると考えます。

そのため、善なる人間は誰もが、“善の尺度”というものを、本来は持っているのです。

この“善の尺度”があるがゆえに、自分や他人の行い、周りに起こる事件等が、善であるか、善でないかを分別することができるのです。

つまり、“善の尺度”があるということは、人間が、善なる神の分け御霊・神の子として、善なる存在であることの証と言えるのです。

ですから、人間に“善の尺度”があるということは、本来は素晴らしいことなのです。

しかし、その“善の尺度”の下側に、“我”というものが入り込むと、とたんに“おかしな”ことになってしまいます。

私の体験談で言えば、私は、「人間は挨拶をきちんとすべきである」という、“善の尺度”を持っていました。

そして、「そうあらねばならない」という、“我”の観点から、Aさんに、「朝、きちんと挨拶した方がいいよ!」という言葉を言ってしまったのです。

もちろん、当時の私は、Aさんに対して、そのように言うことは、「正しいことだ」と考えて言ったはずです。

こういう人間を、おそらく、“小善人”と言うのでしょう!

心の法則には、「認めたものが現れる」という意味があります。

私は、Aさんの「挨拶をしていない」という悪い状態を認め、指摘し、“改善”しようとしました。

そのため、「いらいらの“はけ口”にしないで!」という“暴言”を吐くという、「悪なる状態」 「悪なる面」を、Aさんから引き出してしまったのです。

つまり、「認めたものが現れた」と言えるのです。

世間一般の「悪いものを認め、それを改善する」という生き方は、心の法則から言って、必ずしもいい結果をもたらす訳ではないということです。

私はむしろ、例えば、Aさんが“早く出勤している”という良い面に目を向け、讃歎するとともに、私の方が“素晴らしい挨拶”を“手本”として示すなどして、人間・神の子の教え心の法則を良い方向に使い、Aさんの「善なるもの」を引き出すようにすれば良かったのだと思います。

私は、Aさんとの“トラブル”を通して、そのことを学んだと思います。

やはり、吾々は、“真の善人”、“大善人”にならないといけません!

ただ、私が自分の言動を見つめ直して振り返ることができるのは、やはり信仰心があるからだと思います。

そうでなければ、Aさんとの出来事は、単なる“悪い思い出”としてしか、残っていなかったと思います。

改めて、吾々が信仰に触れ、真理を“心の柱”にして生活できるということは、有り難いことなんだと思います。

なお、私の「日時計主義」の生き方を実践した記事として、“日時計主義”の生き方の素晴らしさを実感!があります。是非、ご覧ください。

 

拍手[2回]

私が大学を卒業し、民間会社に入社して、一年目の後半か二年目のことです。

私は晴れて社会人の仲間入りをし、喜びを持って仕事をしていました。

私の職場に、同期の女性で、小柄でおとなしい人がいました。

その女性を、仮に「Aさん」とします。

私は、現在もそうですが、結構、早めに出勤する方です。

Aさんも、私の次ぐらいに、早く出勤する人でした。

ただ、Aさんは、いつも無言で出勤し、朝の挨拶を、全くしない人でした。

そんな日々が続いたある日、私は、同期ということもあり、「挨拶をしないままではいけないな・・・」と思い、次のように言ってみました。

「朝、きちんと挨拶した方がいいよ!」

後から考えれば、おそらく、こういう人を“小善人”と言うのでしょう!

私としては、「ごめん、ありがとう。これからは気を付けるわ!」といった台詞が、返ってくるものとばかり思って言ったのです。

そして、挨拶をする人間になると・・・。

ところが、Aさんからは、思わぬ言葉が返ってきました。

「いらいらの“はけ口”にしないで!」

本当にびっくりしました。全く想定外の、驚くべき台詞が返ってきたからです。

もちろん、私は怒り口調で言ったわけではなく、人に注意するということですから、慎重に、言葉を選びながら、言ったつもりです。

「いらいらの“はけ口”・・・」という言葉が、私の頭の中を、“衝撃波”のように走りました。

「・・・・・・・・・・・・」

それ以来、Aさんとは、数カ月間、お互いに口も聞かない状態になりました。

正直、この時の出来事は、私にとって、しばらくの間、一種の“トラウマ”として心に残っていました。

その後、生長の家の信仰を深めていく中で、「この時」のことをふと思い出しました。

「なんだ、そういうことだったのか!」

私はようやく、Aさんへの言葉がけが、生長の家の教えに照らし、実はまずい言い方だったということに気付いたのです。

拍手[0回]

生長の家では、日時計主義の生き方(人生の光明面、人の光明面を観る生き方)を、昭和5年の立教以来、推奨しています。

なぜ、こういった生き方がいいのでしょうか?

日時計主義の生き方では、「悪を認め、それを改める」といった生き方をお奨めしません。

それはなぜでしょうか?

通常の考え方からすれば、親による子育てにしろ、学校の教育にしろ、会社での社員教育にしろ、マスコミの報道のあり方にしろ、社会制度を良くするための議論にしろ、多くの場合、個人や社会制度等の中に存在する、「悪い部分」「不完全な部分」「改めるべき部分」を明確にし、それを指摘し、改める(改めさせる)ことによって、良くしたり、完全に近づける努力をしたりします。

例えば、良い面が8割、悪い面が2割あったとすると、2割ある悪い面を良くし、良い面を10割にしようとするわけです。

もちろん、このようなやり方にも、意義があることは認めます。

しかし、「悪を認める生き方」というのは、実は、場合によっては、人間関係の摩擦を招いたり、他人を傷つけたりといった、“トラブル”を巻き起こすことがあります。

あるいは、マスコミの報道であれば、悪を強調し報道することにより、より一層、悪い事件等を引き起こしてしまうといったことが、現実にあります。

しかし、決して、誰に対しても、何に対しても、「事なかれ主義」であればいい、という訳ではありません。

なぜ、日時計主義の生き方が良いのか? 逆に、なぜ悪を指摘する生き方が良くないのか、次号にて、私の体験談を通して、考えてみたいと思います。

実際に、私が、大学卒業後に入社した会社であった、“実話”です。

なお、日時計主義の生き方の詳しい説明は、『生命の実相』第7巻、 『日時計主義とは何か?』、 『太陽はいつも輝いている』 等をご熟読ください。

拍手[0回]

皆さん待望の、生長の家総裁・谷口雅宣先生の『小閑雑感』シリーズの最新刊『Part14』が、11月1日に発売されます。


今こそ、吾々人類は、“発想の転換”が求められていると言えるのではないでしょうか?

みなさんも、日々の生活の中で、社会で起こる様々な事象を見聞きするにつれ、そのようにお感じのことと思います。

それでは、吾々人類は、どのように発想を転換すればいいのでしょうか?

どういった人間観、人生観、世界観、自然観・・・を持てばいいのでしょうか?

その答えが、本書にあります。

是非、お求めください。

定価は、1,400円です。


[内容紹介]

谷口雅宣先生のウェブサイトに掲載されているブログ「小閑雑感」の中から、平成20年(2008年)7月から10月までの全84篇を収録したものです。

先生は、宗教、哲学、地球環境・エネルギー問題などを深く考察しながら、日々の想いを綴られます。

従来の考え方を解放し、新たに創造する心を持つことの重要性を解き明かし、現代社会をより良く生きるためのヒントを満載した珠玉のエッセイ集です。

拍手[0回]

生長の家の教えの3つの柱は、1.唯神実相(ゆいしんじっそう)、 2.唯心所現(ゆいしんしょげん)、 3.万教帰一(ばんきょうきいつ)です。


第3回目は、万教帰一(ばんきょうきいつ)について、説明します。

「万教帰一」とは、一つの神(真理)が、万(よろず)の教えとして、様々な宗教となって、展開しているということです。

これは、万の教えを一つ(生長の家)にするとか、全ての宗教は同じであるといった意味ではありません。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、 『新版 女の生き甲斐』 (250頁)で、次のようにお説きくださっています。

「どの宗教も人間の魂を救う力があるとするならば、すべての人間はその生理的構造や形態が同一である点から見ても、一つの神秘力から生れたということは明かであります。

だからそれを救う真理は、宗教、宗旨、教派等の名称教義の如何に拘らず、同一の真理であるということであります。

だから人間を救う真理が何であるかということを知ろうと思うと、共通しないところのものをふるいにかけて排除して、共通のものだけを残せば、それが本当に人間を救う真理だとわかる訳であります」


様々な宗教が発生したのは、各宗教が起こった、時代や地域、環境、文化、民族、言語、一般の教養と理解等に応じて、あるいは経文や聖書の章句のどこに重点を置くかによって、それぞれの宗教宗派が現れてきたからだと考えます。

“目玉焼き”に喩えてみると、中心部分の「黄身」を、普遍的な「根本真理」と見立て、それぞれの宗教が共有しており、不変であると考えます。

一方、周縁部分の「白身」は、時代、環境、文化、民族などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいと思います。

世界の各宗教宗派が、この中心部分の「黄身」の共通性と、周縁部分の「白身」の多様性を、お互いに認め合うことができれば、宗教や宗派間の対立は解消することになります。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、 『生命の実相』第5巻(聖霊篇上、127頁)で、次のようにお説きくださっています。

「生長の家は「家」であるから、どの宗門からお這入りになりましても一向さしつかえはありません。

どうぞ御遠慮なく御自分の宗門をそのままズッと奥まで、内陣までお這入りなさい。

そこに広々とした奥座敷がある--その奥座敷が生長の家というのであって、この奥座敷には、どの宗教門をお這入りになった方でもかまわない。

ずっと深くその教えの堂奥までお這入りになるならば必ずそこに到達する--それは広い解脱の境であって、本当の自由の境であるから、もう宗派争いなどということはない。

あらゆる宗門からお這入りになった方も、皆互いに生長の家の家族として仲よく手をつないで生活できる境地になる--これが生長の家なのであります。

生長の家は、宗教と宗教とを互いに和解させる働きを持つとともに、これまで信仰してきた宗教が、その始まりにおいて持っていた“みずみずしい力”を復活させ、現代に生きた真理として蘇生させる役割を持っていると言えます。

また、生長の家では、正しい宗教のご本尊は名称は異なれども、共通であると考えるため、改宗する必要がありません。
 

拍手[0回]

生長の家の教えの3つの柱は、1.唯神実相(ゆいしんじっそう)、 2.唯心所現(ゆいしんしょげん)、 3.万教帰一(ばんきょうきいつ)です。


第2回目は、唯心所現(ゆいしんしょげん)について、説明します。

「唯心所現」とは、この「現象世界」は、人間の心によって作り出している世界であるということです。

「現象世界」は、人間の感覚器官で捉えられる世界のことです。

「現象世界」は、「実相世界」の完全円満さのうち、人間の5つの感覚器官である、目、耳、鼻、口、皮膚で捉えられる、ごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直し、仮に作り上げている世界のことです。

そこで、世の中には、戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えます。

しかし、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 希望を叶える365章』(122頁)で、次のようにお説きくださっています。

「どんなに現象が険悪な相(すがた)に見えようとも、事態が悪化するがように見えようとも、神は全ての全てであり、神は善であるから、その険悪な様相や、悪化したと見える状態は、それは夢幻のようなものであって決して実在ではないのである。

だから現象が如何に悪に見えようとも、それを非存在であると念じて否定し去れ。

さらば、ついには、その悪と見える現象は消え去って、ただ善のみ在ると云う実相の状態が現実化して出て来ることになるのである。」

「唯心所現」の「心」とは「コトバ」のことです。

「コトバ」には、「身(しん)」(行動)、「口(く)」(発声音)、「意(い)」(心の思い)の3つがあります。

身・口・意の三業を駆使することで、「唯心所現」の法則によって、「現象世界」をどのようにでも作り上げることができます。

善いコトバを使えば、善い世界が「現象世界」に現れ、悪いコトバを使えば、悪い世界が「現象世界」に現れてくるのです。

そこで、善い世界を実現させようと思ったら、「実相世界」の善きコトバ、神様の御徳である、智慧・愛・生命を、コトバで表現すれば良いということになります。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『新版 希望を叶える365章』(203頁)で、次のようにお説きくださっています。

「実相常楽の世界がそのままにその調和ある状態の影を現象世界に映し出せば、この現象世界は、まことに完全な円満常楽の有様を現出する筈であるけれども、その現象化の中間過程に於いて、人間の迷いの心が作用して、現象界を歪んだものにあらわすのである。

現象世界を実相常楽の世界の完全な投影(かげ)ならしめるためには、心のレンズを浄めて、心の雲りを無くし、心のレンズの歪みを修正して、精確な像(かたち)が映るようにしなければならないのである」

拍手[9回]

ツイッター
カレンダー
03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
ファンデーション 口コミ
ブログ内検索
最新コメント
[10/20 辻井映貴]
[03/15 てんこ]
[03/02 酒井幸江]
[02/10 高橋 久代]
[02/10 大段 務]
最新トラックバック
カウンター
プロフィール
HN:
近藤 慎介 (こんどう のりゆき)
HP:
性別:
男性
職業:
宗教法人「生長の家」本部職員
趣味:
自分を高めること、読書、サッカー、柔道、英語、認知科学など
自己紹介:
滋賀県出身

東京都在住

千年以上続く、真言宗(高野山真言宗)の寺院(岡山県)の家系に生まれる。

真言宗の僧侶である祖父(権大僧正)と伯父(大僧正)を持つ(ともに大阿闍梨)。

昭和前期に、父方の祖母と母方の祖父が生長の家に触れる。

母より生長の家のみ教えを伝えられ、青少年練成会(小中高生向けの合宿形式のつどい)に参加する。

大学卒業後、民間会社に勤務の後、平成18年5月に宗教法人「生長の家」本部に奉職する。

平成22年3月、本部講師を拝命、現在に至る。

平成22年7月、生長の家教修会(生長の家の学会)で、「今日の自然観(心理学の視点から)」についての発表担当を務める。


<マイツイッター>(ブログ形式)
http://twilog.org/Shingon_Sni



<人生の7つの目標>

1.自分の使命と役割を全うする

2.人間の差別を克服する

3.人類の飢餓を克服する

4.宗教・宗派間の融和を実現する
5.自然と人間との大調和を実現する

6.世界の永久平和を実現する

7.地上極楽浄土を実現する

Template by 楽楽楽生活(ららららいふ) 自宅でアルバイトしよう!/ Material by 素材くん「無料WEB素材屋」

忍者ブログ [PR]